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おさしみぎばさ

健康志向の高い女性を中心に、注目を集めています。


  
(株)シーフーズあかまとは・・・続きを読む

アカモク(ぎばさ)、わかめなどの海藻メーカー。 震災による工場被害は免れたものの、漁船を3隻失った。 震災後、復興を目指し宮城県で一番に船を作り、周りの関係者に勇気を与えた。 太平洋に面し、立地的に豊かな漁場である松島湾でとれたアカモク(ぎばさ)やわかめを加工・販売している。

冷凍カットレモン

国産レモンをカットし、冷凍。若者の就労支援になっています。


  
(株)髙橋徳治商店とは・・・続きを読む

明治38年(1905年)創業。国産原料で無添加に挑み続けて40年の水産加工品メーカー。
震災で全ての工場(3工場)を津波で失うが、79人の従業員は無事だった。
惨状下、一時は復旧を断念したが、共生地域創造財団・グリーンコープを含む全国からのボランティアが全身ヘドロにまみれ水も電気もない本社の復旧に。その思いが背中を押し再開を決意した。2012年石巻市の本社工場の揚げ物の製造ラインを復旧したが、危険地域で継続は困難と判断、2013年東松島市に新工場建設。2018年敷地内に冷凍野菜加工場を建設し、震災後増えているDV・児童虐待・引きこもりなどの悩みを抱える地域の若者の就労伴走を行っている。

カラスカレイ切身(骨・皮取り)

脂ののったおいしいカラスカレイを骨・皮を取り食べやすく加工しました。


  
(株)サンスイとは・・・続きを読む

サンマ・ヒラメの刺身加工を行う水産加工品メーカー。 震災で本社は全壊し、水産工場は床下浸水した。 社長自ら工場を改修し、2011年9月より自社製品の製造を再開した。 現在は経営も安定し、来春には新工場が完成する予定。

 

カラスカレイ味噌漬け

兄弟力をあわせて、定評をいただいていた父の技術を受け継ぎます。


  
長栄水産(株)とは・・・続きを読む

水産加工品メーカー。カラスカレイ加工技術に定評がある。 山長遠藤グループは親族系会社グループ4つからなり、震災で、4社それぞれの社長を失った。 (株)山長遠藤先代の息子の遠藤さんは、震災当時28歳と復興応援企画メーカーの中でも最年少だった。 2012年の復興応援企画当時には、「父から教わったカラスカレイの加工技術を引き継ぐ」とコメントした。 遠藤さんの実弟が2021年春より新会社やまちょう(株)の社長に就任。 兄が営業、弟が製造を担い、兄弟力を合わせて事業に取り組む。

さんま黒酢煮

復興を支えた唯一無二の味。
弊社人気商品のひとつです。


  
(株)ヤマホンベイフーズとは・・・続きを読む

大正14年創業。震災前は女川で一番の大口生産を誇っていた、震災で本社・工場などが全壊した。 震災後は石巻にあった小さな直営販売店で、「さんま黒酢煮」を製造することから始めた。2012年には女川に新工場を建設。独自技術の保存技術で、鮮度のよいサンマを出荷している。

宮城県産伊達漁師のわかめ

ぜひ、三陸わかめの味の濃さを味わってください。


  
(株)まるたか水産とは・・・続きを読む

昭和52年設立。主にかき・うに・わかめの加工を行う水産加工メーカー。 奇跡的に津波の被害は少なかったものの、地震の影響で地盤沈下が起こった。 商品開発にも意欲的で、牡蠣を熟成する新技術を使った商品も開発している。 現在、共生地域創造財団と連携し、就労支援にも関わっている。

 

女川布草履

履くととっても気持ちがいいのでリピーターが多いです。


  
(一社)コミュニティスペースうみねことは・・・続きを読む

2011年4月より「ママサポーターズ」として開始。 手しごとを通して、仮設住宅に住む高齢者の生きがいと収入を生み出している。 近年、漁業を生業としてきた男性たちにも声をかけ、農作業をとおして生きがいづくりをしている。 最近は、被災地に住む方々と関わりを持ち、元気になるような取り組みをしている。

はぎれセット(大増量)

たくさん入っています。ハンドメイドされる方に。


  
(株)WATALISとは・・・続きを読む

震災後、地域のコミュニティ復活を願い、地元の女性たちによって誕生した 手仕事プロジェクトとしてスタート。 亘理町の女性に手仕事を通じて、収入と生きがいづくりと居場所づくりをしてきた。 2016年にはコミュニティカフェの「中町カフェー」をオープン。 現在は、ものづくりのワークショップを開催するなど、高齢者の集いの場として開放している。

雄勝硯(すずり)

国産硯はとても貴重なものです。この機会にぜひ。


   
エンドーすずり館とは・・・続きを読む

震災では甚大な被害を受けた石巻市雄勝町。 先代である遠藤さんのお父様は代々続く採石業からの石質にこだわる硯職人になった。津波で、工房や自宅、多数の硯やノミなどの道具すべてが流され、一度はこの町を離れることも考えた。 しかし泥の中から父の作品を見つけ、この地で硯をつくることを決めた。 引退した硯職人から道具を託され、流された材料の石も見つかり、復興を決意した。2012年にプレハブを自宅跡地に建てて、「エンドーすずり館」として再スタート。今でも同じ場所・工房で制作を続けている。 現在数名しかいない雄勝硯の伝統加工技術の継承者である。

 

 

 

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