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2018年夏、福島から「子どもひまわり大使」がやって来ました

グリーンコープは「ひまわりプロジェクト」を通して福島の子どもたちを応援しています。

「ひまわりプロジェクト」は福島のNPO法人シャロームが主宰する活動で、各地で栽培し送られてきたひまわりの種を「食用ひまわり油(製品名:みんなの手)」に加工して、製造・販売し、その収益の一部を、福島の子どもたちが放射線量の心配のないエリアでのびのびと活動する保養のために役立てる取り組みです。
グリーンコープは2014年より、この「ひまわりプロジェクト」に参加しています。「ひまわりプロジェクト」の一環として、福島県の小・中・高生が、プロジェクトの協力者を訪問し感謝の気持ちと福島の今を伝える「子どもひまわり大使」という交流事業があります。グリーンコープが「ひまわりプロジェクト」に協力していることから、2015年と2017年に「子どもひまわり大使」がグリーンコープを訪れました。

2018年は、グリーンコープ生協ふくおかとおおいたを「子どもひまわり大使」が訪問することになり、7月27日(金)~8月1日(水)、8人の子どもたちがそれぞれの訪問地で6日間を過ごしました。

 

【7月27日(金)】

<福岡空港到着>
福岡空港でふくおかとおおいたの組合員がお出迎え。男の子4人、女の子4人の「子どもひまわり大使」は少し疲れた様子をにじませながらも、にぎやかに出迎えの面々の前に現れました。

<ふくしセンター多の津(福岡市東区)>
車の中で眠ってしまった子どももいましたが、ふくしセンター多の津1Fのグリーンカフェの美味しい手作りチーズケーキとグリーンコープのジュースで元気を取り戻しました。
その後、2Fの「多機能つむぐ」のワーカーズのみなさんに丁寧に教えてもらって、ストラップ作りに挑戦。たくさんの色のクラフトテープから好みの色を2色選んで編んでいきます。子どもたちはもう真剣そのもので、最初は苦戦していた子もみるみる上達し、2つ作り上げた子もいました。
最後はベランダで栽培されていたひまわりを見学しました。採取する種が野鳥に食べられないように袋をかけて大事に育てられていました。

 

<グリーンコープ市民電力研修施設「遊学舎」(糸島市)> 
遊学舎事務局の小川さんとスタッフの皆さんがご馳走を作って待っていてくれました。子どもたちは疲れ気味のようでしたが、おいしい食事に笑顔も。朝採りのトウモロコシが大人気。
毎年遊学舎のひまわりの種まきをしてくれる近くの加布里(かふり)小学校の児童とも交流しました。
お互いに照れながら自己紹介。その後花火を一緒に楽しみました。

 

【7月28日(土)】

朝食をすませ神在太陽光発電所のひまわりを見学しました。櫓(やぐら)にも登りました。パワースポットとして最近有名な発電所近くの「神石(しんせき)」まで散策。みんなでパワーをいただきました。

 

<雷山観音参拝>
気温35度の真夏日にもかかわらず、糸島の雷山の登山口にある雷山観音は涼しく別世界。皆の健康と安全を祈願してもらいました。

<グリーンコープ いとしま店>
ここで育てているひまわりを見学し、いとしま店の「カフェ&デリ ことこと」が作る昼食をいただきました。 

<いとしまの海> 
最初はなかなか海に入らなかった子どもたちも水遊びをするうちに、最後には海遊びを満喫していました。浜辺ですいか割りをして皆で食べました。

<星の観察(遊学舎)>
夜は外で大型望遠鏡を使って星の観察。その後室内でプラネタリウム。なんと小川さんのマジックショーもあり、子どもたちはワイワイ楽しんでいました。

 

【7月29日(日)】

       
<遊学舎から朝倉市へ>
お世話になった小川さんにお礼を言って出発。

<産直青果生産者「グリーンあさくら」で収穫体験(朝倉市)>
昨年の九州北部豪雨で大きな被害を受け、さらに今年も大雨により打撃を受けた「グリーンあさくら」ですが、今回のひまわり大使の収穫体験を快く引き受けてくださいました。子どもたちは夕食のバーべキュー用のピーマンとなすを収穫しました。
<仮設住宅林田団地到着(朝倉市)>
仮設住宅にお住まいの方たちが、子どもたちのためにお昼ごはんにカレーを作って待っていてくれました。

<小石原焼体験(東峰村)>
昨年の九州北部豪雨水害の時、山崩れの被害に遭われ、グリーンコープの災害支援センターが泥かきや焼き物の洗浄の支援をし出会った窯元です。今回の焼き物体験をお願いすると、「昨年お世話になったので」と快諾してくださいました。

同行した ふくおかの三原理事長の感想
小石原に行く途中、たくさんの土のうが積まれた箇所を見て、1人が「あの中に放射性物質が入っているんでしょう」と尋ねました。この言葉を聞き、子どもたちの置かれている状況が自分たちの想像を遥かに超えていることを再認識して胸が痛くなりました。
小石原で1ヶ月遅れの七夕の短冊を書いてもらいましたが、それぞれの言葉もとてもその年代の子どもが書く内容と思えず、涙が滲みました。

 
本格的な粘土の成型は初めてで
難しかったようですが
みんな一生懸命取り組みました

 

<仮設住宅林田団地(朝倉市)>

看板作り
林田団地のひまわり畑に立てる看板を作りました。


みんなでワイワイ看板作り。
ひまわり大使の本領発揮です。
バーべキュー
お昼に収穫した野菜と炭火焼のおいしいお肉。大雨の中でしたが、グリーンコープの職員と仮設の方たちがテントの中で煙をモクモク浴びながら肉と野菜を焼いてくれました。ふくおかの組合員と組合員の子どもたちが、100人分の野菜などの下ごしらえをしてくれました。
子どもひまわり大使 報告会
子どもたちが準備してきた作文を読み上げてくれました。「東日本大震災の時まだ小さかったけど凄く揺れて怖かった」「水を貰うため並んだけどあとから放射線が強かったことを知った」「大阪まで避難したけど避難指示区域じゃなかったから支援が受けられず帰った」などの様子や、「その後の国の支援のあり方は平等ではない」「将来の夢は放射能除去装置を作ること」と子どもの発表を林田団地の皆さんと聞きました。組合員の中には「放射能のことを言わせてしまう世の中をつくったのは私たち大人の責任」と話すメンバーも。仮設の皆さんは自分の環境と重なるのか、聞きながら涙を流されている方もいました。そして、仮設で暮らす林田団地の皆さんへ子どもたちから手紙が手渡されました。

 

 

【7月30日(月)】

朝迎えに来てくれたグリーンコープ生協おおいたの組合員と共に大分へ出発

※今年度、おおいたではひまわりプロジェクトとして、3センター・4店舗・新設のわさだ ♥ りすの森保育園、そして、15人の組合員宅でひまわりを栽培しています。

<観光農園ベリージュファーム(九重町)>
観光農園ベリージュファームで、ブルーベリー狩りを楽しみました。「くだものは嫌い」と言っていた子も、家族へのおみやげにと言って、大事そうに手荷物に納めていました。時折小雨が降る中も、子どもたちは歓声を上げてファームの中を駆け回っていました。

 

<九重”夢”大吊橋(九重町)>
子どもたちは「天空の散歩道」と言われる高さ173mの吊り橋の上から、九重の雄大な山々を見渡しました。
<泉水キャンプ村(九重町)>
森林に囲まれ、豊かな自然の中にあるキャンプ村に宿泊。
台風接近のため、当初予定していた虫と星の観察会は急きょ取りやめて、駆けつけてくださったグリーンコープ産直生産者のみなさんとたっぷりと交流しました。

 

おおいたの子どもたちとの対面式で簡単な自己紹介の後、ひまわり大使からの報告会を行いました。

子どもひまわり大使は、事前学習で福島県内のJA・福島再生プラザ・地熱発電所を見学し、現地の方々と意見交換するなどして、作文をまとめていました。
子どもひまわり大使の1人が、桃農家と復興を進める県職員から聞き取ったことを報告しました。
「この桃農家は、震災から2年ほどは収穫量が減ってしまったけれど、木を切る・洗うといった除染をし、しっかりと検査して少しずつ回復させました。県職員の方からは『他の県と変わらず屋外で遊んだり、体育をしたり、野菜を作って食べたりなど放射能にあまり気をつかわなくても生活できるし、このことを伝えて欲しい』と言われました。僕もこのことを伝えたいと思います。

報告会の後、ネイチャーガイドの指導でおおいたの子どもたちと共に「バードコール(鳥笛)」作りをしました。

夜は、グリーンコープの産直青果生産者の九重高原微生物農法研究会と豊肥アグリ企画の方々も駆けつけてくださり、大賑わいの夕食交流会となりました。メニューは、オールグリーンコープの食材でのバーベキュー。肉をほおばって満足げな子どものようすに焼き手にも力が入りました。

 

【7月31日(火)】

<大分マリーンパレス水族館「うみたまご」(大分市)>
この日は班行動とし、昼食時間や場所・見学のルート、ショーの時間と集合時間をにらみながら皆で相談しながら決めていました。館内で他グループと遭遇した子どもたちは、それぞれに「あっちにカメレオンがいたよ」「ペリカンが動いた!」と情報交換して、楽しんでいるようすがうかがえました。

 

<ホテルソラージュ(日出(ひじ)町)>
ウォータースライダーに、流れるプール、子どもたちが一番楽しみにしていた場所に到着。大急ぎで着替えると、歓声を上げてプールに飛び込みました。何度もウォータースライダーでしぶきを上げ、福島の子もおおいたの子も溶け合うように最高の笑顔を見せていました。

夜には、おおいたで2回目となるひまわり大使からの報告会。前日とは違うメンバーが集まり、おおいたの子どもたちは身を乗り出すように聞き入っていました。


ウォータースライダーに大歓声

報告会

子どもひまわり大使の報告

 

【8月1日(水)】

<お別れ会>
空港に向かう前、おおいたの組合員と子どもスタッフ(※)によるお別れ会を開きました。
お別れ会では、子どもスタッフ2人を含め全員から温かな言葉が子どもひまわり大使に送られました。

※おおいたでは、ひまわり大使と年齢が近い組合員の子ども2人を「子どもスタッフ」に任命。2人は、大人と子どもたち、福島とおおいたの子どもたちをつなぐという大切な役割を理解した上で、おおいたでのひまわり大使の全行程に同行しました。

空港では、おおいたの組合員による「たくさんの笑顔をありがとう」という横断幕を送迎デッキに掲げて、青空に飛び立っていく「子どもひまわり大使」を見送りました。
大分空港でお別れ

 

*   *   *   *   *   *   *   *   

【おおいたでの子どもひまわり大使からの報告】

子どもひまわり大使は、事前学習として福島県内でJA・福島再生プラザ・地熱発電所を見学、現地の方々と意見交換し、このことも含め作文にまとめていました。大使たちが事前学習した様子は「ひまわり」というタイトルのDVDに収録されました。タイトルに込められた意味は、「ひまわりは、太陽の方を向いているから、太陽を希望と見立て僕たちは諦めないというのを表現している。太陽という名の希望。希望から目を離さない。」

以下、おおいたの宇都宮理事長の報告をもとに掲載しています。

<震災時2歳・保育園の年少だった女の子の報告>
震災直後から断水となり、歩いて10分の場所に2時間並んで1回10リットルの水を求める日々。当然、1回の水では足らず、1日に2度3度と並ぶ。時には、雨が降り、時には雪がちらつく中を。彼女の作文には「この時、福島原発事故の影響で雨には放射能がまじっていたのです。外出を控えなければいけないのに水をもらいに並ばないと飲む水がない。とてもつらかったです。」と記されていた。

<震災時6歳・幼稚園の年長だった男の子の報告>
「ニュースで原発事故が起きたのを知りました。そして、ずっとマスクを着けさせられました。その頃は、僕は幼くよく分からなかったのですが、その後色々な場面で放射能の危険さを知り、マスクをしていてよかったなと改めて思いました。農作物や環境にたくさんの悪影響が出ていました。僕が大人になった時…復興へ向かって頑張っている人たちがもっと前に進めるようにしたい。そして、皆で福島を復興へ進めていけたらいいなと思います。」

<震災時2歳、震災2か月前に建てた家から、家族と共に京都に避難している女の子の報告>
「突然原発事故がおきました。その年の6月に弟が生まれ7月に京都に避難しました。お母さんは慣れない場所で生活し、お父さんは1年後仕事を辞めて家を売って京都に来てくれました。…私が1年生の終わりころに避難生活が大変になり福島に帰ることになりました。寂しかったり、友達と一緒がいいと思いました。福島にはまだ放射線があるため、生活に気をつけています。保養にもでかけます。このように福島では大変なことが起きてしまいました。原子力発電所は止めて欲しいです。」

<震災時3歳だった女の子の報告>
「震災時、放射性物質が降りました。私は3歳。妹は半年。食べ物や水がなかったので店に並びました」その後、彼女の家族も避難生活に入る。「最初、新潟に避難しました。2011年5月から8月まで。2011年8月から2015年12月まで新潟から山形に避難しました。次の日妹が熱を出しました。病院を見つけるのが大変でした。私は年少さんだったから、幼稚園を探すのも大変でした。たくさん助けてくれる人がいました。それで、お母さんは助かりました」作文からは、幼かった彼女が感じた避難生活の大変さがこぼれる。

<震災時4歳だった男の子の報告>
「お昼寝タイムの時で、上を向いていたら揺れたことを覚えています。揺れが収まるとすぐに靴を履かずに外に出ました。この日雪が降っていたので足がとても冷たく友達と布団をかぶって外に出ました」そして、家族の迎えで家に帰る。「水、電気、ガス全てが止まってしまって、ロウソクに火をつけてストーブの周りで過ごしました。しばらくして、ニュースを見ると津波が来て原子力発電所がこわれて、放射線が福島県や宮城県に飛んでいったと知り、この日は風があったので広く放射線が飛んだと聞きました。今は、あの震災から7年が経ちましたが津波の被害や放射線の被害を受けた地域は、まだ大変なことになっています。地震は自然災害なので止めることはできませんが、地震に対応することはできると思います。…震災を経験した僕たちが震災について伝えていきたいと思います。」

<震災時3歳だった男の子の報告>
「当時の僕は幼すぎて地震の怖さしか知りませんでしたが、歳が大きくなるにつれて本当の怖さを知りました。色もにおいも形もない誰も経験したことのない放射線との戦いです。…今では運動会も校庭でできるようになりました。僕たちの生活は確かに震災前の、原発事故前に戻りつつあります。しかし、まだまだ途中です。みなさんが心穏やかに過ごせるように、心に大きなひまわりの花が咲きますように、祈っています。」

<震災時9歳だった男の子の報告>
「人が福島に感じていることは、2つに分かれると思います。1つは、復興して安全だ。そして、もう1つは、放射線があって危険だ。この2択のように復興には格差があるのです。」

 


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