東日本大震災支援活動 グリーンコープ

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〜社会福祉法人グリーンコープの福祉ワーカーズよる被災地への支援報告〜
2級ホームヘルパー養成研修宮城講座が修了しました

2012.10.24

  「現地で福祉の担い手を育て、雇用に繋げる」ことを目的に、2012年8月からスタートした講座に、宮城県山元町の住民15人(男性2人、女性13人)が参加しました。

  受講生は2ヵ月間、通信教育や講義、介護技術の実習、施設での実習を重ねてきました。それぞれの受講者は震災から立ち直っていく過程にあります。子育てや仕事との両立や、数十年ぶりの勉強に戸惑いや大変さを感じた人もいましたが、「資格をとって地域で働きたい」と意欲的に学び、全員が2級ヘルパーの資格を取得しました。

  これまで約1年間、福祉ワーカーズによる福祉施設へのボランティア派遣を通して信頼関係を築いてきた山元町には、会議室や使用する福祉用具などを提供いただき、11の事業所には施設実習を受け入れてもらい、講座を無事修了することができました。

  10月9日(火)の修了式には、山元町と実習を受け入れた事業所の方も参加され、修了者には早速求人の案内がありました。地元での人材育成が、山元町の復興につながっていくことを確信した修了式となりました。


◆講座を終えた受講生の感想より(一部抜粋)◆

  ・この講座がなければ受講することはなかったので、この機会を与えてくださったことに感謝していますし、人間としても成長できたと喜んでいます。

  ・どうしようもない、整理のつかない気持ちがまだ残っています。でも、前にすすまなければならないと思い、この機会を与えていただいたことありがたく思います。

  ・講座で学んだことをいつまでも忘れず、介護者として皆の役に立てたらよいなあと思うようになりました。

  ・今までは他人ごとのように見過ごしていたことも、この講座で学んだことを生かしながら、いろいろな人々と関わっていきたいと思いました。



2012年9月1日〜3日にグリーンコープ共同体理事会メンバーによる被災地視察がおこなわれました

2012.10.3

  9月1日〜3日、共同体理事会メンバーが宮城県の被災地を訪れ、東日本大震災から1年半後の被災地での漁業・農業の復興支援の状況を実際に見聞きし、肌で感じてきました。


 
石巻市蛤(はまぐり)浜区長の亀山夫妻
(後列)と共同体理事会メンバー
 
斉藤さんの農園では、たくさんの野菜が
実っていました


その様子を「共生の時代」10月号に掲載しています。⇒コチラ



農事組合法人マイファーム亘理協同組合の加工用トマトが実りました

2012.10.3

  宮城県亘理町の農業の復興をめざして栽培された加工用トマトが収穫の時期を迎え、マイファーム亘理の生産者の皆さんは収穫の喜びをかみしめています。 (栽培を始めた頃の様子はコチラ


 
 


その様子を「共生の時代」10月号に掲載しています。⇒コチラ



福祉ワーカーズによる被災地への支援報告です

2012.10.3

  グリーンコープの福祉ワーカーズは「被災地の役に立ちたい」と、2011年6月から被災地の福祉施設にワーカーを派遣する人的支援をスタートし、2012年8月からは現地で福祉の担い手を要請する支援をおこなっています。


 
 


これまでの支援活動の経過と、実際にボランティアで活動してきた福祉ワーカーの報告を「共生の時代」10月号に掲載しています。⇒コチラ



2012年5月7日〜8日に訪問した被災地の様子についての報告です

2012.5.25

<被災地にも春>

  大震災から1年余り経ち、被災地にも確実に春が訪れていました。冬の寒さから解放されるとともに、復興に向けて、これまでより一段と街全体が動き出しているという様子がありました。津波で崩壊したまま手がつけられていなかった地域にも重機が入り、さら地になったところも多く、新しい建物も増えていました。しかし一方、都市部から離れた地域の中には、まだまだ被災した当時のままの風景が広がっているところもあります。


◆宮城県亘理(わたり)町

  亘理町は、なだらかな海岸線に沿って、いちごや稲作をはじめ果樹栽培などが盛んな田園地帯。震災による地盤沈下や塩害のため、農地として、そして地域としての復興が難しいところもある様子ですが、その中でも新しい一歩を踏み出している人々がいます。


〔 てしごとプロジェクトWATALIS 〕

  WATALIS(ワタリス)は、お返しなどの品を感謝の気持ちとともに手作りの袋(ふぐろ)に入れて届けるという亘理町の伝統を、「FUGURO」として蘇らせています。

WATALISスタッフの4人。向かって左端が代表の引地さん


 
 

WATALISの事務所に並ぶ色とりどりのFUGURO。材料には古い着物や反物などが使われています


一つひとつに心を込めて丁寧に仕上げられています


FUGUROの制作指導をおこなっている高橋さん


共生の時代6月号1面でWATALIS代表の引地さんを紹介しています。
カタログGREEN15号(6/25〜30配布)で、FUGUROを企画する予定です。


〔 丸子農園 〕

  丸子さんは、宮城県特産のいちご「もういっこ」の生産者。
  津波で壊れたハウスを建て直し、再びいちごの栽培を始めていました。

 
 

塩害により地面に直接栽培することができないため、1m以上の高さのところに棚を作り、その上にいちごが実っていました


丸子さん(写真左)とハウスづくりを手伝っていた近所の青年。
現在6つのハウスが出来上がり、新しいハウスを増設中でした


〔 デイサービスえん 〕

  新しい場所に再びデイサービスセンターを建設した斎藤さんご夫婦を、グリーンコープの福祉ワーカーズが支援しています。


色とりどりの花々が咲く敷地内の一角は、グリーンコープの福祉ワーカーズのカンパで作られたもの。「グリーンコープの庭」と名付けられています。


「グリーンコープの庭」に、今が盛りと咲く花みずき


〔 農事組合法人マイファーム亘理協同組合の加工用トマト栽培 〕

  亘理町では、被災した農家の皆さんが、新たに農事組合法人マイファーム亘理協同組合を設立し皆で協力して、農業による復興をめざしています。共生地域創造財団の支援活動と併行して、グリーンコープとして、加工用(ジュース用)トマトの栽培に協力し、グリーンコープが原料を購入することで、長期的な復興、農業の復興に連帯しています。


グリーンコープのトマトジュースのメーカー長野興農(株)から届いたトマトの苗。この日6000本もの苗が長野から届きました。新たな取り組みに希望も不安もある様子ですが、皆さん、前を向いて頑張っておられます


農家の皆さんがハウスの中でトマトの苗をポットに移植している様子。朝夕はまだ気温が低いため、このまま20日ほどハウスの中で育て、ある程度大きく育ってから地植えします


植え替えた苗が並ぶハウスの中


◆宮城県女川(おながわ)町

  リアス式の入り組んだ海岸線が続く中、入江に囲まれた女川は、20メートル位の津波に襲われた地域。現在まだ多くの人々が地域内に点在する仮設住宅で暮らしています。


〔 女川高白浜草履組合 〕

  孤立しがちな仮設住宅の暮らしの中に、モノ作りを通してコミュニティを作ろうと、ボランティアで地域支援をおこなっているママサポーターズの代表八木さんを中心に始まった布草履作り。在宅女性の就労支援として広がっています。


ママサポーターズ代表の八木さん


「高白浜の7人娘」のイラスト。布草履作りは高白浜の仮設住宅に住む7人の女性たちからスタートしました


古いTシャツを細くカットします


カットした布を継ぎ合わせ、太いかぎ針で編んでいきます。大変力の要る作業です


全国から届けられたTシャツ。グリーンコープからもファイバーリサイクル事業部を通して提供しています。これらを材料にします


 
 

出来上がった草履のゴツゴツ感が足の裏に心地よく、同じものが二つとないのも手作りならではの味わい


共生の時代7月号1面でママサポーターズ代表の八木さんを紹介します。
カタログGREEN19号(7/23〜28配布)で、布草履を企画する予定です。



※他の支援のようすは、「共生地域創造財団」のホームページでも見ることができます。コチラ



2012年3月15日〜17日、グリーンコープのワーカーズメンバーが被災地を訪問しました

2012.4.16

<東日本大震災から1年後の被災地報告>

  1年経っても尚、地震直後の大津波の爪跡が生々しく残り、一方で、瓦礫の撤去が進んで見渡す限りの荒野のような被災地。そこに人々の営みがあったとは想像すらできず、被害の甚大さを改めて感じさせるような被災地それぞれの2012年3月。

  2012年3月15日から17日に撮影した被災地の写真と共に、1年後の被災地を報告します。

 ※以下、説明文の番号は地図上の番号とリンクしています。

◆瓦礫が撤去され一面の荒野〜仙台空港周辺・名取市〜亘理(わたり)町

 
 

1.(左)名取市の住宅街だったところ。見渡す限りの茶色い荒野が広がる。ここに街があったとは想像できない。道路と田畑と宅地の区別がつかないくらい全てが失われている。この地域は内陸まで平地が続き、高い所がなく逃げる場所がない。ここに7m以上の津波が襲ってきた。



2.名取市 閖上(ゆりあげ)地区にあるお寺。
お墓も何もかも流されてしまったまま。
周囲も瓦礫が片付けられたとはいえ、
1年後とは思えないほど、復興・復旧は
進んでいない。

3.名取市 閖上中学校の校庭跡。
地盤沈下しているため、水が引かない。
流された船が取り残されていた。


 

4.亘理町 荒浜海岸。ここでたくさんの人が亡くなった。まだ瓦礫が片付けられていない所もある。
防風林の役割をはたしていた、海岸から幅50〜100mある松林も全て茶色く枯れ、海から陸の方向に折れていた。


◆あの日あの時のまま〜名取市 閖上中学校/石巻市 大川小学校

 
 

1.(左)津波の被害にあった閖上中学校。時計は地震のあった午後2時46分で止まっていた。
ここでは14人の生徒が犠牲になっている。玄関前には生徒の名前を刻んだ石碑が立てられていた。


 
1.校舎の1階まで津波で浸かった形跡があった。生徒の教科書やバッグ、学校用具の一部が
泥まみれのまま残されていた。
 
1.震災の当日は卒業式だったようで
飾りなどが残ったままだった。
近くに高い建物はなく人々はこの中学校に
避難して来た。3階が避難所になったが、
立っているしかないくらいに避難して来た
人でいっぱいになった。簡易トイレや
避難者の人数などの貼り紙などが未だ
生々しく残っていた。


 

2.全校生徒の7割以上の子どもたちと教職員が亡くなった大川小学校。学校は横を流れる北上川より低い位置にある。学校の裏側には切り立った山があるが、他には高い場所はない。
校門の献花台にたくさんの花が手向けられていた。


◆生々しい爪痕〜南三陸町・女川(おながわ)浜・雄勝(おがつ)町・石巻港

 
1.南三陸町 志津川周辺。
防災庁舎近くの鉄骨だけになった建物。
津波の破壊力のすごさを思い知らされる。
街は壊滅状態で、すれちがう人や車は
工事関係者ばかりだった。
 


 
2.津波でほとんどが流された女川の
中心部から見上げた女川町立病院
(中央右上の建物)。
こんな高台にあるのに、病院の1階まで
津波で水没。この病院を目指して
多くの人が逃げて来たが、最終的には病院の
裏山の神社まで逃げることになったという。
 
3.石巻市雄勝(おがつ)町 雄勝庁舎。
3階まで津波が押し寄せ、窓ガラスは破れ
中はがらんどうになっていた。


 

4.石巻市石巻港周辺の住宅街。ここは住宅撤去が遅れている。
家も中はがらんどうになってしまって無人。


◆明日へ向かう〜亘理町・山元町・石巻市・牡鹿半島

 
 

1.(左)亘理町の宮城県特産のいちご「もういっこ」の生産者だった斉藤さんご夫妻。
津波で自宅の1階を流されながらも、2階に留まり近隣の人たちと支え合って在宅避難していた。
塩害に弱いいちごの栽培は断念し、野菜づくりをはじめるため自力でビニールハウスの枠を組み立てた。


 
2.亘理郡山元町で津波の被害にあいながらも、
奇跡的に一人の犠牲者も出さなかった
デイサービス「えん」の斉藤さんご夫妻。
震災前は施設は山元町の沿岸部にあったが、
全て津波に流された。利用者の要望があり
内陸の方にデイサービスセンターを建設した。
張りつめたこの一年、めまぐるしい日々だった
と振り返りながら、時折体調を崩すことも
あると言われていた。グリーンコープの
福祉ワーカーズが2011年7月より継続的に
支援活動を続けていることで、
繋がりが深まっていることを感じた。
 
3.石巻市の高橋徳治商店。
グリーンコープの職員や
共生地域創造財団の泥出し・
瓦礫撤去支援を受け、
10月に工場の1ラインを再開した。
周囲は瓦礫と無人の家がほとんど。


 
4.石巻市 折浜・蛤(はまぐり)浜 
この日はおだやかな海。漁業再開のための
船も浮かんでいた。夏に種付けをしたカキは
順調に育っているとのこと。グリーンコープの
取引先を通じて入手したロープなどを使って、
養殖イカダづくりの作業が本格的に進んでいる。
 
5.女川浜周辺。
支援された建材を使って店を再開した
コンテナ商店街。ボランティアの人たちが
活発に動き、店の建設を続けていた。
一歩一歩復興に向かっていくには
さまざまな支援が不可欠だ。


◆これまでの支援・これからの支援〜女川町・仙台市青葉区・仙台市若林区

 
 

1.(左)仙台市青葉区 共生地域創造財団の連携団体の一つ、「ワンファミリー仙台」で話を聞く。
普段は仙台市のホームレスの支援を行っているが、震災当時は事務所前で帰宅難民に炊き出しを行った。避難所、福祉施設、病院など400カ所に物資の配送支援をした。


 
2.仙台市若林区
農地は一見きれいになっているように見えるが
何度掘り起こしてもガレキが出てくる。
菜の花を植えても強風に芽が飛ばされ
育たなかった。しかし様々な作物を育てる
試みをして、可能性を探っている。
 
3.震災前まで漁師(夫)の仕事を手伝っていた
女性たちが、仮設の集会場で布草履(ぞうり)
づくりをすることで繋がっている。
Tシャツなどの綿を裂いて編んでいく。
力がいる作業だが
女性たちは元気に作業していた。


 

亘理町の女性たちが集まって着物の布地を再利用して作った「FUGURO(ふぐろ)」。
てしごとプロジェクトWATALIS(ワタリス)が「ふぐろ」づくりで復興への足がかりとなるよう支援している。


************


  被災地に暮らす人たちの笑顔や言葉からは、前を向いて、懸命に進もうとされているようすが伝わってきました。被災地の人たちが、街づくりや、仕事づくりなどに積極的に取り組み、自らのふるさとを再生させるために立ち上がっておられるようすに感動を覚えました。しかもそれが20〜70代の幅広い世代であることにも、一筋の光を見ました。

  震災という困難からの出会いではありましたが、繋がっている被災地の方々とこれからもずっと共に歩んでいきたいという思いを強くしました。同時に、厳しい現状を目の当たりにし、これからの困難を見聞きして、さらに被災地を応援していく取り組みを継続していくことや、私たちの生き方も問い直しを迫られているように感じました。



復興へ一歩ずつ…被災者のチャレンジを支える取り組み

2012.3.9

<現地のようす〜1・2月>

被災地でも今年は例年にない寒さとなっています。仮設住宅では水道管が凍結し、被災者は不便な生活を強いられています。

仮設住宅の被災者と異なり、在宅の被災者には支援や情報が不足している状況があります。引き続き物資支援の要望は多く、物資の配布会を継続しています。毛布のニーズも高く、10t車8台分だった在庫も1台分までになりました。防寒着の在庫も10t車4.5台分までになるなど、布団や毛布も含めた物資が当初10t車50台分あったことから考えると、多くの被災者に利用されたことが分かります。


<物資の配布会と準備のようす>

山元町坂本公民館での仮設住宅や在宅の被災者対象の物資配布会。組合員のみなさんから提供いただいた物資の配布会を行いました。
山元町坂本公民館での仮設住宅や在宅の
被災者対象の物資配布会。
組合員のみなさんから提供いただいた物資
の配布会を行いました。
山元町での在宅の被災者のところには薄い毛布しか配られていなかったため、毛布の追加要望に応え、配布会で予約を受けた毛布をトラック(リス号)2台分お届けしました。
山元町での在宅の被災者のところには薄い毛布しか配られていなかったため、毛布の追加要望に応え、配布会で予約を受けた毛布をトラック(リス号)2台分お届けしました。


倉庫内での、他団体への物資振り分け作業なども、ボランティアの方たちに協力いただいています。
倉庫内での、他団体への物資振り分け作業
なども、ボランティアの方たちに協力いただ
いています。
仮設集会所での物資配布会のようす(岩手県大船渡)
仮設集会所での物資配布会のようす
(岩手県大船渡)


大船渡宿舎に、配布会用物資を搬入。被災者やボランティアのみなさんのおかげで配布会の準備ができました。
大船渡宿舎に、配布会用物資を搬入。
被災者やボランティアのみなさんのおかげで
配布会の準備ができました。
在宅の被災者向けに、復興ニュースや地元新聞に毛布提供の案内をし、必要とされる被災者に毛布をお届けしています。
在宅の被災者向けに、復興ニュースや地元新聞に毛布提供の案内をし、必要とされる被災者に毛布をお届けしています。


<人的支援>

震災後からの被災地現地で支援に入ったグリーンコープの職員は64人、延べ511日です。
その活動内容は、瓦礫撤去(海岸、畑、工場)、清掃、倉庫内での物資の振り分け、被災地への物資の配達、配布会の準備対応などです。
被災地で活動し、被災地の大変さを感じ、引き続き支援が必要なことを実感しています。


福祉のワーカーは、7月から1月末までに約60人、延べ500日が支援に入りました。
現在支援している介護老人保健施設、デイサービスセンターが自立に向けて準備をすすめています。
地域内の同様の施設も被災して、対応できるところが少なく大変な状況のため、ワーカーの支援はまだしばらく続けられる予定です。


<農業支援>

田畑の瓦礫撤去は少しずつ進んでいますが、排水や塩分濃度の問題があり、生産者は作付もできない状況です。そんな中でも、地域の課題に合った取り組みになるよう、現時点では、菜の花、イチゴ、加工用(ジュース用)トマトのなどの作付支援について検討されています。
陸前高田で、菜の花と麦を他団体と共同で各3反作付したところ、雪の下ではもう芽が出ていました。

<漁業支援>

宮城県の漁港再編では、蛤(はまぐり)浜と隣の折浜は拠点漁港(県内60箇所)から外れ、必要最小限の復旧支援の範囲となりました。漁業を続けていくためには、漁具だけでなく、沈下した地盤をかさ上げし、船着場の整備も必要です。

蛤浜・折浜で一緒に漁業の復興に取り組んでいる漁師さんは5人。カキの養殖で生計をたてるには、1人6台の筏(いかだ)が必要です。現在、海には昨夏に種付けしたカキ筏2台が浮かんでいます。今後、筏の資材やその手配などの準備に入ります。また、カキのむき小屋については、漁協と協議に入っています。筏を入れる時期にはボランティアも必要になります。ボランティアの募集も行っていく予定です。

蛤浜での役割を終えたボランティア用宿舎兼物資倉庫のプレハブは、大船渡の地元の方へ提供いただいた土地に移動し、物資倉庫として活用しています。

 
 

この大船渡の物資倉庫から仮設住宅、みなし仮設住宅、在宅被災者のみなさんに、必要に応じて支援物資をお届けしています。


<コミュニティ支援>

物資を支援してきた仮設住宅で就労支援と地域コミュニティづくりの面から支援できることを進めています。

宮城県南部の亘理町は、今もなお多くの人たちが不自由な生活をしていますが、そんな中で「ふぐろ」作りを通して地域コミュニティづくりの活動が始まりました。

FUGURO

かつて亘理町では、感謝の気持ちを込めて相手に何かを手渡す時には、着物の残り布で仕立てておいた「袋」に入れて渡しました。その「袋(ふくろ)」が訛って「ふぐろ」と呼ばれます。建物を取り壊すことになった亘理町内の呉服店からゆずっていただいた昭和の時代の古い生地を使い、地震や津波で大切なものを無くした皆さんが、「FUGURO(ふぐろ)」を再現しています。着物生地の手配の支援や、今後は、グリーンコープでも「FUGURO」を取り扱うなどの支援も行っていく予定です。

<大船渡での活動のようす>

現在、大船渡では、共生地域創造財団が中心になり、2週間に一度集まって、約20の団体(地元以外からの支援団体、民生委員、地元支援団体等)のそれぞれの支援活動の取り組みを共有し、相談等を行っています。

現在、大船渡では、共生地域創造財団が中心になり、2週間に一度集まって、約20の団体(地元以外からの支援団体、民生委員、地元支援団体等)のそれぞれの支援活動の取り組みを共有し、相談等を行っています。

大船渡では、避難所から自宅に戻った在宅被災者の方々には物資が行き渡っておらず、仮設住宅に比べて情報も届かない状況のため、在宅被災者のようすを1軒ずつ聞き取りをしながら、対応しています。



◆大船渡の被災者の方から〜お礼のメッセージが届いています◆








*** 「共生地域創造財団」現地事務局から ***


高台(16メートルの高さ)にある「女川町立病院」から撮影したものです。
津波はこの病院の1階部分まで到達しました。つまり、高さ約18メートルの津波がやってきたということです。眼下の、大きなビルが横倒しになっていることからも、その凄まじさがうかがい知れます。(左下写真)
また、地盤沈下で建物が完全に冠水し、まるで海の中に建っているように見えます。(写真右下)



瓦礫撤去が済んで、塩分除去を行った亘理町の畑に、今年も白鳥が飛来してきました。



今年は例年にない豪雪。仙台の共生地域創造財団の事務所の駐車場でも除雪作業をしています。



※支援のようすは、「共生地域創造財団」のホームページでも見ることができます。コチラ



少しでも元気に新年を迎えてほしい〜被災地での年末年始の取り組み

2012.1.26

<現地の様子〜12月>

相当に寒くなる現地。年末急ピッチで行われていた仮設住宅の断熱工事や2重扉工事などの冬支度も追いついていない様子でした。また、仮設住宅住まいのお年寄りが体を動かす機会が減ることによる歩行困難などの生活不活性病や、延長されていた雇用保険の失業給付が切れ就職先もないなど今後の生活が心配される状況です。
そんな中でも被災地のみなさんに、少しでも元気に新年を迎えていただこうと年末年始企画を行いました。


<クリスマスツリーとケーキを届けました>

他団体から提供されたクリスマスツリーを仮設住宅・被災者住宅へ、グリーンコープの取引先から提供されたお菓子のセットを被災した保育園へ届けました。また、被災から復興した宮城県石巻市のケーキ店にクリスマスケーキを作っていただき、被災地の皆さんに届けました。ケーキに使用したいちごは、全国でも有数のいちご産地宮城県亘理(わたり)町の、被災して壊滅状態から一部復興した丸子農園のいちごです。

支援活動の中で知り合ったいちご生産者の丸子さん。壊滅状態から一部復興し、立派ないちごができました。
支援活動の中で知り合ったいちご生産者の丸子
さん。壊滅状態から一部復興し、立派ないちごが
できました。
石巻市渡波(わたのは)にあるケーキ店「エクレール」は、2階の天井まで津波が入り全壊の状態から復興を果たされました。ご主人は、被災地の子どもへクリスマスケーキを届ける取り組みに快く応じていただき、心を込めて作ってくれました。
石巻市渡波(わたのは)にあるケーキ店「エクレール」は、2階の天井まで津波が入り全壊の状態から復興を果たされました。ご主人は、被災地の子どもへクリスマスケーキを届ける取り組みに快く
応じていただき、心を込めて作ってくれました。


ボランティアのメンバーがサンタの衣装で、被災地の仮設住宅や被災住宅を回りました。仮設住宅の子どもたちからおばあちゃんまで、皆さんに喜んでいただけました。
ボランティアのメンバーがサンタの衣装で、被災地の仮設住宅や被災住宅を回りました。仮設住宅の子どもたちからおばあちゃんまで、皆さんに喜んでいただけました。

ボランティアのメンバーがサンタの衣装で、被災地の仮設住宅や被災住宅を回りました。仮設住宅の子どもたちからおばあちゃんまで、皆さんに喜んでいただけました。


宮城県亘理町の荒浜保育園は津波で流され、間一髪中学校に避難して、約100名の園児は無事だったとのこと。現在、違う場所の仮設の保育園で再開されています。
宮城県亘理町の荒浜保育園は津波で流され、
間一髪中学校に避難して、約100名の園児は
無事だったとのこと。現在、違う場所の仮設の
保育園で再開されています。
雪が積もった公園で遊ぶ園児に、クリスマスのお菓子をプレゼントしました。
雪が積もった公園で遊ぶ園児に、クリスマスの
お菓子をプレゼントしました。


<飾り鏡餅や福袋を届けました>

グリーンコープのメーカー・生産者の会「グリーンクラブ」から提供いただいた飾り鏡餅やお餅を宮城県の女川(おながわ)・雄勝(おがつ)・牡鹿(おしか)・亘理・山元の各エリアの被災された方々にお届けしたり、岩手県大船渡市ではみなし仮設住宅を中心に年越しそばを提供しました。また、グリーンコープの取引先や他団体から提供された物資で「福袋」を準備して届けました。被災された皆さんから「おかげで新年を迎えることができました」とお礼の言葉をいただきました。

牡鹿エリア仮設住宅での、年末物資提供のようす。皆で分け合う、生協の班共同購入と同じ風景です。

牡鹿エリア住宅仮設での、年末物資提供のようす。皆で分け合う、生協の班共同購入と同じ風景です。


<冬物物資配布会を開催しています>

冬の防寒対策は、行政の対応では充分でなく、組合員の皆さんから提供いただいた物資が大活躍しています。仙台市宮城野区主催のイベントに参加し、炊き出し、冬物衣料・雑貨配布会を行いました。宮城県山元町主催のイベント、山形県米沢市、福島県いわき市にて開催された他団体のイベントに物資提供の要請があり、各会場に4t車に満載の冬物衣料・毛布・紙オムツ等をお届けしました。また、岩手県大船渡・陸前高田でも毛布の要請が多く、組合員の皆さんから提供された毛布をお届けし、大変喜ばれ感謝されています。今後も、被災された方の要望に応じた支援を行っていきます。

仙台市宮城野区の仮設住宅・みなし仮設住宅対象のイベントでの冬物物資配布会。驚くほど多くの方が来られ、時間を延長したり毛布は別途配達するなどの対応をしました。まだまだ支援が行き渡っていないことを実感しました。
仙台市宮城野区の仮設住宅・みなし仮設住宅
対象のイベントでの冬物物資配布会。驚くほど
多くの方が来られ、時間を延長したり毛布は
別途配達するなどの対応をしました。まだまだ
支援が行き渡っていないことを実感しました。
積雪の中、岩手へ物資(毛布)を満載して出発
積雪の中、岩手へ物資(毛布)を満載して出発

     

※みなし仮設住宅…震災で自宅を失った人が民間の賃貸住宅を借りて住むこと     

     

<復興がすすまない女川・牡鹿エリアのようす>

災害発生当初の緊急支援から復興支援に移り変わっていく中で、食品の物資支援は減少していますが、道路等のインフラ整備が進まず、未だに水の確保や買い物にも不自由な地域もあります。

小さな漁村では今なお瓦礫がそのままの状態のところもあります。
小さな漁村では今なお瓦礫がそのままの状態のところもあります。
石巻市の月の浦では、今でも満潮時は冠水し、高台にある避難所の民家に入るには潮が引くのを待つしかない状態です。。
石巻市の月の浦では、今でも満潮時は冠水し、高台にある避難所の民家に入るには潮が引くのを待つしかない状態です。


女川エリアには多くの漁村がありますが、途中の道路はまだ復旧しておらず、写真の様な状態のところがたくさんあり、冬場の凍結で更に危険な状態です。

女川エリアには多くの漁村がありますが、途中の道路はまだ復旧しておらず、写真の様な状態のところがたくさんあり、冬場の凍結で更に危険な状態です。


年末押し迫って急ピッチで断熱材を貼る作業が進められていました。
年末押し迫って急ピッチで断熱材を貼る作業が
進められていました。
仮設住宅の玄関からすきま風が入り室温が上がらないという声を受け、2重扉の工事がすすめられています。
仮設住宅の玄関からすきま風が入り室温が上がらないという声を受け、2重扉の工事がすすめられています。


<社会福祉法人グリーンコープの在宅福祉ワーカーズによる支援のようす>

社会福祉法人グリーンコープでは、昨年7月末から、震災後の緊急物資支援活動の中で出会った宮城県の山元町の介護老人保健施設「アルカディアウェル」、デイサービス「えん」へ、ふくおか、くまもと、かごしまの各在宅福祉ワーカーズのワーカーが被災地で人的支援活動を行っています。

介護老人保健施設「アルカディアウェル」は高台にあるので津波被害は受けなかったものの、職員スタッフの減少や入所者の増加で一時大変な状況でした。避難者対応や停電、断水等で、職員スタッフは寝ずの対応をされたそうです。
介護老人保健施設「アルカディアウェル」は高台にあるので津波被害は受けなかったものの、
職員スタッフの減少や入所者の増加で一時
大変な状況でした。避難者対応や停電、断水
等で、職員スタッフは寝ずの対応をされたそう
です。
現在、福祉ワーカーが毎週2人支援に入っています。施設内では、はるばる九州から自分達のために来てくれているということが、入居者の方々に元気を届けられ、感謝されています。
現在、福祉ワーカーが毎週2人支援に入っています。施設内では、はるばる九州から自分達のために来てくれているということが、入居者の方々に元気を届けられ、感謝されています。


山元町の沿岸部にあったデイサービス「えん」の施設は全て流されましたが、海から2キロほど離れた自宅は浸水したものの流されずに残ったので、自宅を清掃・修復してデイサービスを行われています。
山元町の沿岸部にあったデイサービス「えん」の施設は全て流されましたが、海から2キロほど離れた自宅は浸水したものの流されずに残ったので、自宅を清掃・修復してデイサービスを行われています。
スタッフは全て退職となったため、現在、福祉ワーカーが週に2人支援に入っています。ここでもワーカーさんの活躍は、本当に感謝されています。
スタッフは全て退職となったため、現在、福祉ワーカーが週に2人支援に入っています。ここでもワーカーの活躍は、本当に感謝されています。


その他にも、グリーンコープの取引先メーカーによる支援がありました     

化粧品メーカーによる、手・顔のマッサージとメイクなどの支援がありました。利用者は、はじめは「恐る恐る」でしたが、終了後はこの笑顔。
化粧品メーカーによる、手・顔のマッサージと
メイクなどの支援がありました。利用者は、はじ
めは「恐る恐る」でしたが、終了後はこの笑顔。
マッサージだけでなく、マニキュアの要望もあり、喜んでいただきました。
マッサージだけでなく、マニキュアの要望もあり、喜んでいただきました。


※年末年始の支援のようすは、「共生地域創造財団」のホームページでも見ることができます。コチラ


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