私たちはアレグリア農園をあとにして、あの悲惨な事件があったエスペランサ農園へ向かった。途中の道路はコンクリートで舗装されていたが、サトウキビを積んだ大型トラックが行き交うため大きな穴が開いていたり、収穫されたお米を道路に広げて天日干ししたりしているので、それらを縫うように私たちの車は右や左にと車線を変えながら(失礼、車線はありません)猛スピードで走る。また、自転車やバイクの横にサイドカーが着いたタクシーのような乗り物のトライシガットやトライシクルが前を走っているとクラクションを鳴らしながらたちまち追い越して行く。ここでは交通ルールなどないし、信号も1つも見なかった。景色は田んぼが広がるのどかな田園風景だったり、その合間に点在する小さな集落(まるでキャンプ場のバンガローのよう)が見えたり、そうかと思うといきなり市場が現れ、たくさんのお店と人でごった返したりしていた。
山の方にさしかかると次第に道は舗装されていないでこぼこ道になりエスペランサ農園に入っていった。大地主が所有する砂糖工場を通り抜け、もう飛び上がるほど揺られながらやっと農園へ着いた。
まず、私たちが目にしたものは・・・
2003年3月、土地闘争事件で銃殺されたジョニー(29歳)のお墓だった。辺り一面サトウキビ畑ののどかな一角に、背の高いサトウキビに見守られるようにひっそりとそれはあった。私たちはお参りをして少し沈んだ気持ちで農園の中の集会場へと向かった。そこでは50名くらいのナガシ村の方たちが歓迎してくれ、まずは女性たちの手料理でもてなしてくれた。取れたての野菜や魚介類をふんだんに使ったスープや煮物はベースが醤油や砂糖の味付けで私たち日本人の口に合ってとてもおいしくいただけた。本当においしかった。日本から持ってきた有明産の海苔を出してご飯を巻いて食べるように言ったら、ネグロスの人たちはおっかなびっくりという様子で口にしていた。
食事のあと自己紹介をし、畑の様子を見学に行った。村の方たちもぞろぞろ後を着いてきて、子どもたちも嬉しそうに、そして親しげに私たちに寄り添って着いてきてくれた。あぜ道をはさんで左側はサトウキビ畑、右側の斜面は村人たちによって一から開拓された畑(174ヘクタール)になっていて、大根、いんげんまめ、ニガウリ、なす、カボチャ、落花生などが作付けされていた。その下の方に小さい川が流れ、そこから生活や作物のための水をくみ上げていた。村の方が、「農業のことは何もわからないところからJCNCのサポートを受けて、自立できる家族農業を目指し皆で協力し合ってここまでたどり着くことができた。これからまた様々な技術を身につけたり、農業施設を整えたりして、収穫量を増やしていきたい」と夢も語られた。サトウキビはマスコバド製糖工場へ運ばれるそうだ。製品になって私たちの元に届くと思うと感慨深いものがあった。 |